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人生 山あり 谷あり 田んぼあり「地域おこし協力隊員 百姓になる」連載 vol1


 「それは霊感ヤマカン第六感ってやつで、こういうのは手本があって手本がない。創意工夫しながらやって、そのうち仕事が教えてくれる」

 禅問答のような言葉だが、不思議と、この言葉の意味が一緒に農作業しながら少しずつ分かってきた。

 百姓仕事の師匠である田村貢さんは細かな指示は出さない。初対面ならぶっきらぼうと思ってしまう人もいるだろう。ただ、一緒に農作業をすると、短い言葉で端的に核心をついていることに気づかせられることが多い。経験から生まれた抽象的な言葉は、深い森の中を分け入るような幽玄さがある。

 言葉は場所が変わると変化する。外国語はもちろん、方言もそうだ。言葉は風土や暮らしのなかで育まれる。同じ言葉でも、深いレベルでその真意を辿っていくと、その土地の風土や暮らしが見えてくる。

 地域おこし協力隊員として新潟県阿賀野市に移住して2カ月が過ぎた。任務は移住促進のための情報発信。とはいえ、私自身、移住者の新米である。

 移住先で「百姓暮らし」をしたいと思っている。百姓はただ、農家を意味する言葉ではない。「百の姓(くさぐさのかばね)」という意味で、土地の風土に合わせ、いろいろな仕事を組み合わせて暮らしていくことだ、と本で読んだ。

 それ以来、私は百姓に憧れている。季節に従って田畑を耕し、必要なものはできるだけ自分で調達する。お金も必要だから賃労働もする。分業化が進み、単一仕事をこなす現代の生活とは違い、生活と仕事が混じり合う「昔ながらの生活」とも言える。

私も軽トラが似合う人になりたいと思いながら撮影

 現代では暮らしと仕事が乖離して、労働で得た報酬で衣食住の暮らしを買うという生活がほとんどだ。私も人生の大半をそのような生活で過ごしてきた。お金が必要なのは間違いない。私にも家族がいるから、もちろん、稼ぐ。ただ、年齢を重ねて、見知らぬ環境で生存していくための知恵と経験をどこまで身に付けることができたのか、できるだけお金に頼らずに暮らしを創ってみたいと思うようになった。そうして、自分なりの「ワークライフバランス」を見つけて、家族で幸せになりたいと思っている。

 とはいえ、具体的なビジョンはない。日常では心配性でちまちま悩むことが多いが、大局的な立場に立つと妙に楽観的になる。どうせ、現実は理想通りにはいかない。「幸せになるために移住しました」というあやふやで出たとこ勝負で良いと思っている。

 明確なスキームが無いぶん、成功か失敗かという横ぶれも少ない。あの手この手を使って、臨機応変に暮らしを組み立てていく方が、面白い。元来、百姓はしぶといはずだ。

 見知らぬ土地で「新しい暮らし」を創るには、その土地の風土に馴染むように暮らしきた人に学ぶのが一番だ。そこで、市内でも農業が盛んな笹神地区で長年、田畑を耕してきた田村貢さんに「師匠」になってもらった。「口調は厳しいけど、とても優しい方ですよ」と、JAの職員が笑顔で私に言いながら貢さんを紹介してくれた。

 貢さんが発する「言葉の核」に迫るために、できるだけ同じ地平に立ち、できるだけ一緒に汗を流したいと考えている。そこから、「移住者として新しい土地で暮らしを再構築する」ためのヒントを見つけてみたいと思った。

移動中の軽トラの中で名言がよく出るので、ボイスレコーダーを片手に乗り込む

 百姓暮らしは憧れのスローライフとは違う。貢さんを見ていても、やることが多く、とにかく忙しそうだ。ただ、見方を変えると、本当の意味でのスローライフともいえる。コシヒカリ30キロの販売価格が1万円だとすると、時給1000円で10時間の労働になる。栽培すれば、育苗も含めて半年以上の時間が必要で、その間、水の管理、草刈り、肥料散布などもあり、時給だけで考えれば確実に買った方が早い。効率的に必要な物を手早く手に入れるという世界では、百姓暮らしはかなりのスローであることは間違いない。

 「自分の日当考えたら相当なもんだよ。弁当持って勤めに出た方が良いわね。弁当も米と野菜は自分のところで作っているし、卵焼きの卵を買うぐらいなもんで、金もかからんよ。時給を考えたらやってられんわね」

 炎天下で農作業した帰り道、汗で濡らした麦わら帽子を被って軽トラを運転する貢さんが私に言った。

 「じゃあ、なんで農業を続けているんですか」と貢さんに問いかけようと思ったが、できなかった。気力がなかったのである。汗でびっしょりと濡れたTシャツを体に張り付けて、助手席で麦茶をひらすらガブガブ飲んでいた。

vol2に続く

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