見出し画像

人生 山あり 谷あり 田んぼあり「地域おこし協力隊員 百姓になる」連載 vol5

「昔の人は楽をしようなんて、誰も思っていなかった」

 貢さんが炎天下で農作業を終えて言った。その言葉の背景には、貢さんが暮らす笹神地区の地域性が深く関わっていると思っている。

 笹神地区は「ゆうきの里」として全国的に有名な有機農業の先駆的地域である。1988年、地域振興を目的とした「ふるさと創生事業」で、国が全国の市区町村に1億円を交付したことがあった。使い道は各自治体の自由で、旧笹神村はその交付金でたい肥センター「笹神ゆうきセンター」を建設して、農家から集めたもみ殻などを利用して有機たい肥「ゆうきの子」の生産を始めている。

 化学肥料の高騰や安全安心な農産物を求める消費者ニーズを背景に有機農業への関心が高まっている今の状況をみると、笹神地区の農家は「先見の明」があった。

 そして、その「先見の明」にも訳がある。その背景を辿ると、40年以上前から続いている、ささかみ農協(現JA新潟かがやき ささかみ支店)と生活協同組合のパルシステムとの産直交流事業に辿り着く。生産者と消費者が直接取引する産直は今では珍しくないが、ささかみ農協が産直を始めた当時は国がコメの流通を一元管理する食管法があった時代で、消費者にコメを直接販売しようとする農協や農家への風当たりも強かった。

 いつの時代も、出る杭は打たれる。それでも、農協の上部団体や関係機関と粘り強く交渉しながら、知恵と工夫を働かせて産直交流事業を実現させた。そうして、消費者と交流しながら、安全安心な農産物を求めるニーズに応えてきた。

 逆風にもめげない粘り強さと規制に対する反骨精神はどこから来るのか、さらに、歴史を辿ってみる。どうやら、笹神地区は大正時代から昭和初期にかけて小作料をめぐる地主との小作争議があるなど、農民運動が盛んな地域だったらしい。さらに、1970年代後半、国が罰則規定まで設けた「強制減反」に反対し、減反目標達成率が全国ワーストワンの地域になっている。

 笹神地区の歴史を辿りながら、私は「反骨心あふれる風土」に心が躍った。もちろん、笹神地区にも村社会特有の頑固で保守的なところもあるだろう。だが、自分たちの流儀に固執するような教条主義とは違う。地域をどのように将来に残していくか、天候や状況に合わせて臨機応変に対応していく百姓仕事のような、したたかさと粘り強さがあるように思える。

 一般的に考えれば、既存のシステムの中にいる方が楽で、リスクも少ない。農業は食料を安定的に供給するという「安全保障」に関わる領域で、国は補助金を利用しながら堅牢なシステムを構築し、農業者をコントロールしてきた。しかし、それがいつも正しいとは限らない。

 笹神地区の農家はシステムから外れることも厭わずに、自分たちが正しいと思う農業を創意工夫しながら作り上げてきた。たとえ逆風に吹かれたとしても、地域の共同社会的な構造が革新的な行動を下支えする。そうして、既存のシステムやルールに従って楽をすることを選ばずに、先駆的な「ゆうきの里」を作り上げてきた。

 生活協同組合の連合組織であるパルシステムの組合員は食や環境への関心が高い。環境に配慮した農産物を求める声に応えるのは、農家にとって楽ではない。笹神地区の稲作は、有機栽培、特別栽培、あたり米、慣行栽培の4つの栽培方法に分かれている。

 有機栽培は化学肥料はもちろん使えず、使用できる農薬も厳しく制限されている。国が認めたJAS認証機関の厳格な審査を受けて、有機栽培米として販売できる。貢さんも有機栽培米を6反栽培している。

現地視察に訪れた有機JAS検査員と話す貢さん

 有機認証を受けるのは大変だ。コメの保管場所も厳密に検査される。貢さんは納屋を建てるときに少しでも建築費用を抑えようと、木製丸太の電柱を譲ってもらい、納屋の柱に利用しているが「その納屋には有機栽培米を保管できないと検査員に言われたんだ。木製の電柱には防腐のためにタールが塗られている。それが駄目なんだって。化学薬品が塗られた建材がある場所には保管できないんだよ」と貢さんが認証の厳しさを私に説明してくれた。

有機栽培の水田であることを示す確認票。水田ごとに栽培法を記した確認票を立てる

「お金がなくても、少しでも健康のためにと値段の高い有機栽培米を買う人もいるのです、と認証機関の検査員から聞かされたことがあったんだよ」と貢さんは検査員との会話を振り返って語る。

「だから、作る人は誠心誠意を尽くさないといけない」と貢さんは私に言った。有機栽培米は一般的な慣行栽培と比べて、倍近い金額で取引されている。だが、高く売れるから作る、のと、高く売るために作る、のでは根本的に違う。高く売れるから作る、というのはあくまでも生産者側の発想だ。

 貢さんの言葉は高いお金を出して買う消費者と同じ地平に立ち、「高く売るために誠心誠意を尽くす」というスローフード本来の姿がある。ひたむきに汗を流して安全安心な農産物を栽培する生産者を信頼して、消費者は高いお金を出して農産物を購入する。スローフードは生産者と消費者との信頼関係で成り立つ。

「昔の人は楽をしようなんて、誰も思っていなかった」という貢さんの言葉は、今ほど機械化も進んでいないから楽をしたくてもできなかった、ということだけではない。笹神地区の風土を辿りながらさらに言葉の核に迫っていくと、「楽をする」を「手を抜く」と言い換えることもできる。

「昔の人は手を抜こうとは、誰も思っていなかった」

 そして、今でも、貢さんは手を抜かない。貢さんは頑固で融通が利かないところがある。だから、決められた栽培規準に従って実直に体を動かしている。

vol6へ続く

みんなにも読んでほしいですか?

オススメした記事はフォロワーのタイムラインに表示されます!

Instagramでは阿賀野市の魅力をたくさん発信しています! 是非見てください~!